昭和五十四年九月一日 朝の御理解

 御理解第八十一節 「氏子十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、直ぐに後へもどるぞ」


 信心をさせて頂いて、御神徳を頂いて、安心のおかげを頂いて初めていわば安心じゃという事だと思います。金光様の御信心は私は、その御神徳は皆なが受けられると仰せられるのですから、また教えのどの教えを頂きましても、御神徳を頂く事の為にある、というふうに感じます。
 ですからね、いうならばおかげを一段一段積み上げていく、と同時にそれに伴ういうなら力と申しましょうか、御神徳を身に受けてどんな場合であっても驚かんですむ、又は安心しておれれるおかげを頂く為の精進を、お互いさせて頂いておるんだという事になります。
 昨夜は月末御礼信話会がございましたが、神様に信話会が始まる前のお礼お届けをさして頂いておりましたら、神様から『日勝り月勝り』という事を頂きました。もうお道の信心させて頂く者の、まあ耳になじんだ言葉ですね。日勝り月勝り年勝り代勝りとこう、こう申しますとね、日勝り月勝りという事が一番大事だと本当はね、そして年勝りである。本当は、も、日勝り月勝りのおかげを身に感じさせて頂いて初めて、本当の信心が出来るという事じゃないかとこう思うんですね。も、日勝りです、月勝りですね。お互いが、ま、願ってやまない事なんでしょうけども、そんなに、そんなにはと思うのですけど大体は金光様の御信心をすれば、日勝りに月勝りにおかげ頂いていく。だからその信心を頂くまでが言うならば難しいと言えばむつかしい。
 信心を頂くまでが私はお互い、ま、九里半登ってもと仰しゃる、ま、ここまで、ここまで分かったから大丈夫という人があるかも知れません。いや、も、本当に例えばこれが山道でもある、向こうへおりたらと仰しゃるから、一つの十里の坂道とこう頂いてもいいでしょうね。もう九里半だという時が一番きつい時じゃないかとこう思うんです。もう頂上はそこへ見えてるんだけども、も、兎に角きつい時です、だからそこで油断をするとダラダラと後へもどるぞ、とこう仰しゃっとられる。同時にまた反対にですね、もうここまで登ったから大丈夫とこう言うようなその、安心ならざる安心ですね、いうなら油断です。
 そして頂上を極める事もなかなければ、向こうへおりる事も出来ないでただ金光様の信心、御神縁を頂いておると言うだけにすぎない。勿論おかげは頂いておるけども、日勝り月勝りと言うようなおかげにつながっていかない。
 これはまあ、私共こうやって御用さして頂いておりますから、どこにいうならば私共が目当てを置くかと、まあ何と言うても日々の御参拝、御参拝の数とでも申しましょうかね、昨日は千名だった、次の日は千十名だったというようにですね、ところが仲々その次には千二十名というわけには参りませんね、けれども、そこんところに自分の信心の定規をおいて、教祖様は日勝り月勝りと仰しゃるのに、どこにか信心の緩みがあったからまた元にもどったなあ、と言ったようなふうに自分という者を反省させて頂いて、より一段と信心の稽古を、ま、励まして頂くという事にならなければなりませんね。ま、いうならはっきりとグラフ用紙にでも、こうやって書いて行ったら、はっきりこう分かるような信心を頂きたい、という位な一つおかげを受けたい。
 月末になりますと、一と月の御初穂の金額が出てお届けに参られます。おかげを頂いて、やっぱり月々少しずっではあるけれどもおかげを受けておる。はあ神様は昨日、私日勝り月勝りと仰しゃつたのはこういう事であろうかとね。だから、なら月勝りにおかげを頂いておるから、はあこれで安心という事ではない。また先月八月であるならば、また九月の月もどうぞよろしゅうとお願いをさして頂いとりましたら、こうきちっと白の角帯をしてね、そしてその結び目のところに白扇をこうさしているところを頂いた。まあ信心の帯びをしっかりさせて頂くという事だと思います。白扇という事はまあ末広がりという事だと思うんですね。しっかり信心の帯びをしてと仰せられるそこんところを、ま、今月も頂いていかなきゃならない。
 今月はそういう意味で、神様は、こう、しっかり信心の帯をしときゃ末広がりの、いうなら日勝り月勝りのおかげを、いよいよ下さろうとしておるような感じですから、それをいよいよ頂き止めれるおかげを頂きたい。
 昨日、ここに御神縁を頂かれて二年余りになるそうですが、加藤さん達夫婦が、初めて昨日の信話会に参拝しとられました。そして奥さんはいつもお話ししますように、もう、毎日毎日もうそれこそ神様のお知らせをずうっと頂き続けて、お店の事なんかでも御主人がお伺いをしてくれと言われると、お願いされると、ま、いろいろとそれに対するお答えを頂かれる程しにおかげを頂いておられます。肉眼はいよいよ見えなくなられたけれども、心の眼がもうそれこそさえにさえていきよるという感じです。
 毎日御夫婦ここであの電話でお届けがございます。もうそれをテ-プに取って皆さんにも聞いてもらいたいごとある、毎日お電話でお届けをさしてもらうのが楽しいと、こう言うておられますが、私も御夫婦の電話がかかってくるともう楽しいです。そのお届けの内容が楽しいです。素晴らしいです。今日もどうぞ合楽理念の実験実証者としてのおかげ、今日も親先生の篤い篤い祈りの中に生かされて、おかげを頂いておりますと言ったような事から、ま、始まるんですけども、そしてその日々のおかげの、本当に日勝り月勝りのおかげを頂いておられるなあ、という感じなんです。
 御主人の方は熱心ですけど、神様からお知らせ頂くというような事はまあ先ずなかったんですけれども、昨日一昨日電話でその事をお届けしとられましたが、夕べその事を発表しとられました。神様から賞状を頂いた、それに神官と書いてあった。賞の字がこうして書いてあった。して次に小さい皿に梅干しが一つのっておるところを頂いたね。皿の上に梅干しがのっておるから新たな信心によって、いよいよ信心辛抱の徳を受けなきゃならんとでしょうね。と言うてまあ、夫婦で言うたり思うたりしたと言う話しをしとられます。けれどもまさしく私はお徳だと思いますね。
 神官というのは神格の事だと、昔教祖の神様は、信心が少し進むといろいろと神格を与えられましたですね。下葉の氏子とかね、ま金子大名神とか金光大権現とかと言うような御神格を与えられたね。金光大神の御神格を受けられた方達もあった位でした。ところが、そういう事がさし止めになられましてから、例えば大阪の白神先生なんかは、あの白神というのを紙に変えろと言うて、白い紙と書いてそれをまあ神格と言うふうに、なさったんじゃないかとこう思うんですね。
 ここでも私は、御神格を受けられた方達がいくらもあると思うです。いうならば加藤さんなんかも、そういう意味あいで一つの御神格を受けられた。そして梅干しの徳をうけられたと、梅のね信心辛抱梅の花とこう言うが、梅、さあしっかりこの寒中でもそれこそ、ふくいくとした香りをあたりに漂わせながら信心の稽古をしておるという時には、もう固い梅の蕾のようなお知らせを頂きます。それが咲く頃にはいよいよ鶯が来て止まって、もう本当に信心のおかげでこう言うおかげを頂いてと、それこそホ-ホケキョウの囀りの声を聞かせて頂くようなおかげにもなって参ります。そこん所で油断をせずに進めていくところから、なら今日の御理解の向こうへ降りたら安心じゃと言う、いわばそれが青い実ともなりそれが紫蘇となじんで梅干しともなり、もう何時まで置いても悪くならない、どんな病人に与えてもよいと言ったような徳になってくるね、御神徳ですね。だから御神徳を頂いて、もうあの氏子は安心だと、いうふうに神様が思うて下さるのじゃないだろうか、その思うて下さるそれが反映して私共の心の中にね、喜びと同時に安心、徳を受ければ心配はない、というような心がいよいよ確立してくるという事になります。 今日は御祈念中に、或る方がまあ一生懸命のところを通っておられるんですけれども、も、この何ち言うですかね傘を、雨傘を、ここにはさんでこうやって持っておられるところを頂いて、それがずり落ちてて、ほんな先の所で、ああずり落ちるがと思うような持ち方をしておられる方がありました。勿論傘というのは安心です。大丈夫じゃろか、おかげ頂ききるじゃろか、も、まあ御理解を頂いて一生懸命修行さしてもらっておかげ頂く、どうでもおかげ頂かにゃという時には、こうやって傘を小脇にかかえとる時でしょうけども、それがこうずり落ちようとしておる。お互いそういうところばっかり、通っておるのじゃないだろうか、時にはずり落とすような事もある。で、はっと気が付いてまた拾う、と言ったような事にもなるでしょうけれども、それこそ小脇にしっかりと傘を頂いてね、もういつ降ろうがね、何時例え曇ってこようが傘を持っておるから安心、濡れんですむという、どんな場合であってもおかげになると、こう確信出来れる信心を頂く為にです、今日の御理解の一つ、九里半のところをですね、ヤレヤレ安心と言うてまあ油断をする、これは油断の事ですね。そこからズルズルと下へ落ちていく、かというて、もう言うたら、もう九里半、もう直ぐそこに頂上が見えるという時ほど一番きつい時。
 だからそのきつい時をです、もうこれはヘトヘトという時にはいうなら、あなたの持っておるめぐりもヘトヘトの時だと思わにゃいけません。めぐりが百の力をもってせまってくるなら、こちらもいうなら正しい信心の力、百をもってするなら正しいものと、いうならば正しくないもの、邪と正と、いうならばもう絶対正、正しいほうが勝つ事になっとる。同じ力であっても勝つ事になってる。これはもう原則ですね。けれどもね、いかに正しいからと言うて、このへんなら邪の方の力よりも、十なら十減っておるならば、邪に負ける事になるのです。
 だから自分達がね、きついとか苦しいとかという時には、もうめぐりもヘトヘトになっておる時ですから、いうなら、そこんところをもう一段と勢いのある信心をめざさせてもろうてね、それに打ち勝っていくおかげを頂くところをです、今日は九里半登ってもと仰しゃつたのではなかろうか、向こうへ降りたら安心じゃと言うのを、私は安心の徳を受けるということ。信心辛抱そしていわば梅干しの徳ともならせてもろうてね、安心のおかげを頂けて初めて神様にもね、あの氏子はいよいよ大丈夫だと、いう事になってくるんじゃないだろうか、というふうに思うんです。
 今月いよいよ信心、まあ自分の心の上にも身の上にも、またはお商売ならお商売させて頂いとるそのお商売の上にもです、はあ今月は日勝りのおかげを受けておるぞと、いや受けねばならん、そして一カ月締め括った時にです、それこそあれもおかげであった、これもおかげであった、そして、しめて見たら帳尻にきちっと月勝りのおかげになっとったと言うような、ひとつおかげを頂きたいですね。
どうぞ。